情報労連第35回長崎平和フォーラムは、8月7日~9日にかけて開催された。
退職者の会は、青森県支部協議会松森愼さん、長野県支部協議会藤井建治さん、富山県支部協議会山岡義雄さん、中央協議会からは中野副会長が参加した。
また、九州からは福岡・熊本・佐賀・大分県支部協議会の皆さん、オブとして大阪支部協議会より3名、京都支部協議会より4名、長崎支部協議会からは小石会長、畑本事務局長や地区連の方々など地元実行委員会を含め31名が参加し、情報労連全体では約150名が参加した。
一日目・7日
一日目は、県立体育館で開催された「長崎平和フォーラム」に全員で参加した。
冒頭、主催者を代表して、情報労連・安藤中央執行委員長は、「コロナ等で5年間開催することができなかったが、今年は現地で開催する事ができた。現地の実行委員に感謝する。原爆により7万を越す命が奪われ、その後も被爆が原因で亡くなった方やいわれなき中傷など戦後79年経った今でも多くの人が後遺症に苦しんでいる。世界では多くの核弾頭が現存し核軍拡が進んでいる。唯一の被爆国の日本は核兵器禁止条約に早急に批准し、核廃絶に向けて積極的役割を果たすべき。しかし、現政権は防衛費増額や敵基地攻撃能力を有するミサイル配備など軍拡へと舵を切り、平和を脅かす動きに危機感を感じる。平和は一人ひとりが希求し、声を上げていかなければ実現できない。情報労連は『創り育てる平和』をシンボルフレーズとする平和運動を継続、強化する。戦後79年、被爆の恐ろしさを体験した人が年々減ってきている。今だからこそ原爆の悲劇と悲惨な戦禍を学ぶ意義は大きい。9日の慰霊式では慰霊碑の前で平和を誓いあいたい。」とあいさつした。
次に、連合長崎高藤会長は、「全国から集まって来られた事に感謝を申し上げる。1985年から情報労連の平和行動と共にやってきた。ロシア、イスラエルは核兵器の保有国。危機感を強めている。日本政府に唯一の被爆国として『核兵器禁止条約』の早期批准を求めた。長崎を最後の被爆地としたい。」とあいさつされた。
続いて、組織内・石橋みちひろ参議院議員より「平和行動には毎年参加しているが、79年前の広島、長崎での原爆の恐ろしさ、悲惨さを共有して繋げていきたい。核なき世界を作るために日本が代表になって引っ張って行かなければならない。戦争の悲惨さと平和の尊さを想い、国会で実践していく」とのあいさつがあった。
その後、退職者の会長崎支部協議会顧問の山本浩さんから被爆体験談を聞いた。
山本さんは「今、被爆者の平均年齢は86歳になっている。また、年平均で2000人の人が亡くなり高齢化が進んでいる。爆心地から東西7キロ、南北12キロの人が被爆者手帳を持っているが、被爆した人はそれだけではない。救援に行った人、お腹にいた子なども被爆した。被爆した娘を嫁にもらうな、という誹謗中傷もあった。」など原爆投下直後の惨状や、戦後にも続く被爆の影響等を克明に語られ、貴重な体験談を参加者全員で共有した。
90歳の山本さんが当時の事をしっかり話され、平和を願う気持ちがひしひしと伝わり、伝える大切さを学んだ。
その後、「長崎原爆資料館」を見学し、原爆投下の長崎の様子や被爆によって壊された建物の壁、落とされた時間で止まっている時計等が展示されているのを見学した。駆け足での見学だったが、改めて被爆した悲惨さを目でみて確認した。
二日目・8日
二日目の午前中は被爆遺構巡りに参加した。
最初に訪れたのは「海魂の碑」である。我々の先輩が乗船していた日本初の海底ケーブル敷設船「小笠原丸」は、長崎で建造された。下田港で空襲を受けながらも作業を続け、終戦をサハリンで迎え、引き上げ戦として使われた。
昭和20年8月20日、引揚者約1,400人を乗せてサハリン大泊港を出港。21日に稚内に寄港し約900人が下船。新たに500人を乗せて小樽へ向けて出港したが、22日朝4時、増毛沖で国籍不明の潜水艦から魚雷攻撃を受けて沈没し、約557人が犠牲となった。
「海魂の碑」は、この「小笠原丸」を含む3隻の海底ケーブル敷設船の犠牲者を追悼し、再び戦争を繰り返さない誓いの碑として、NTT-WEマリン長崎事務所内に建立された。参加者全員で慰霊のために献花を行った。
次に向かったのは、城山小学校。旧城山国民学校校舎は爆心地より西480メートル。校舎の一部が兵器工場に使用されていた。当日は、学校職員32人、三菱職員75人、動員学徒の合計151人がいて、131人が死亡した。現在はその校舎の一部が保存されている。
その後、平和祈念公園に行き、平和祈念像、長崎の鐘、平和の泉等を巡り、フォーラム会場である県立体育館に戻った。
昼食時には戦時食という事で、だご汁、イワシ、サツマイモ等が退職者の会の協力で用意されていた。
午後からは、第2部が開始され、井出実行委員長が「是非、被爆の実相を目で見て平和への思いを繋いでいって欲しい」とあいさつされた。
続いて、長崎被爆者二世協議会栗山会長より会の活動報告、戦争体験記の詩の朗読があり、長崎協議会井出議長から北海道協議会山本副議長にピースフラッグが渡された。
全員で折り鶴の作成、万燈への平和の願い記入し、情報労連小田嶋運動推進局長が「5年ぶりの開催となったが、地元実行委員、支援スタッフに感謝する。今日本は戦争ができる国にシフトしつつある。核兵器では真の平和は作れない。平和を創り育てるためには、微力ではあっても一人ひとりが行動することが不可欠である。本フォーラムで学び感じたことを、周囲に伝える具体的な行動をお願いする」とのあいさつし、休会となった。
その後、会場を移し、県立体育館メインアリーナでの「連合2024平和ナガサキ集会」に参加した。主催者あいさつ、来賓あいさつ、被爆者の訴え、長崎大学核兵器廃絶研究センター長・吉田文彦様より「地球の健康/人間の健康 そして核廃絶」をテーマに基調講演が行われた。
また、ナガサキ・ユース代表者による「若者からのメッセージ」、第27代高校生平和大使が紹介された後平和アピールが採択された。
最後に長崎県協の役員、組合員および全国支援スタッフが舞台に立ち、手話を交えながら「For The Peace Of World」を歌い、閉会した。
被爆者の高年齢化が進んでいる中、若い世代が被爆者の体験を継承し、世界に訴えていく活動はこれから益々重要な役割となることを想い、高校生の活動を応援したいと思った。
三日目・9日
三日目は10時45分からの「被爆後79年電気通信労働者原爆被爆死没者慰霊式」に参列し、11時2分の原爆投下時間にあわせ、全員で黙祷を捧げた。
その後、主催者を代表して長崎県協井出議長が「戦争の惨禍を体験した先人は『二度と戦争をしない』と決意し、平和憲法を掲げた。日本政府に対し、『核兵器禁止条約』の批准を求め、核兵器廃絶に向けさらに取り組みを強化することを誓う」とあいさつした。
続いて、情報労連中央本部を代表して安藤中央執行委員長のあいさつがあり、献花、献鶴を行い、犠牲者の冥福を祈った。
最後に、NTT労働組合長崎県被爆者二世協議会・入江佐香江さんから、核兵器廃絶に向け、次代を担う若者や子ども達へ運動をつなげていく、との誓いの言葉を捧げられ、慰霊式を閉会し、三日間にわたる第29回長崎平和フォーラムが終了した。
報告者:退職者の会中央協議会中野副会長