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NTT労働組合退職者の会

トピックス

2024年7月22日
第32回沖縄ピースすて~じ -戦後79年

情報労連「2024沖縄ピースすて~じ」は6月23日(日)~25日(火)の3日間にわたり行われ、全国各地から約160名の組合員が参加し行動が展開された。退職者の会からは、埼玉県支部協・松本副会長、福井県支部協・吉田事務局長、長崎県支部協・石田副会長、中央協・髙見副会長の4名が参加した。

6月23日(日)一日目

初日の午後から「那覇文化芸術劇場なはーと大劇場」にて連合「2024平和行動in沖縄」の「平和オキナワ集会」に900名が参加し開会された。
オープニングに、沖縄市山里青年会によるエイサーが披露された後、第一部、沖縄国際大学大学教授・前泊博盛氏による基調講演「再考・日米地位協定~“標的の島”からの警告:米軍、軍縮、憲法、自衛隊~」が行われた。
第2部は平和式典。全員で戦没者に対する黙祷を捧げた後、主催者を代表して清水連合事務局長が「79年前の3月26日、米軍が沖縄に上陸し、3か月間の地上戦で20数万人の尊い命が奪われた。復帰から52年が経過した今日おいても、沖縄は過度の負担を背負わされており、日本に駐留する米軍基地の70%が集中し、いまだ多くの問題を抱えている。平和運動を継承するため、家庭、職場、様々な場面で恒久平和の実現に向け発信者となって欲しい」と挨拶。
続いて地元を代表して仲宗根連合沖縄会長から「本土復帰から52年が経過したが、米軍基地に関する事件・事故が後を絶たない。辺野古海域の基地建設、自衛隊の沖縄配備強化など再び戦争の道を進もうとしている。若者の夢や未来を奪うことをしてはいけない。平和なくして労働運動なし。世界の恒久平和の目指し、平和運動を進めていく」と挨拶。
次に来賓挨拶が続いた後、沖縄から次の平和行動の地である広島にピースフラッグがリレーされ、最後に「平和アピール」を採択し閉会した。

引き続き会場を移し、情報労連「2024沖縄ピースすて~じ」の結団式が行われた。主催者を代表して鈴木情報労連副中央執行委員長から「平和四行動は1993年沖縄から始まっている。米軍が起こした事故は沖縄だけの問題ではなく日本全体の問題で、日米地位協定の抜本的な見直しが必要だ。戦争を起こさないため日本はどうあるべきか考えて欲しい。これから3日間、積極的に行動して欲しい」と挨拶があった。

続いて地元を代表して比嘉地元実行委員長が「『沖縄ピースすて~じ』の行動で感じた『平和の尊さ』『戦争の愚かさ・悲惨さ』を家族、職場などに発信・共有して欲しい。そして、『創り育てる平和』に向け各種取り組みを展開していきましょう。」と挨拶。

引き続き、石橋みちひろ参議院議員が「『沖縄ピースすて~じ』には毎年参加し、戦争の悲惨さ、平和の尊さと同時に今何が起こっているかを、参加者と共に考えている。沖縄は基地化の最前線となっている。辺野古の基地建設の影響で自然が破壊される。改めて考えて欲しい。二度と戦争をさせないために、行動しなければ平和は守れない。沖縄をはじめ平和四行動には情報労連の代表として参加していく。一緒に『創り育てる平和』に向け行動をしていきましょう」と挨拶。

最後に古川支援スタッフの力強い「団結ガンバロー」で終了した。

6月24日(月)二日目 戦跡・基地学習行動

二日目と三日目の午前は、戦跡・基地学習行動を行った。

①糸数アブチラガマ

もともと糸数集落の避難指定壕で、日本軍の陣地壕や倉庫として使用されていたが、米軍上陸時には南風原陸軍病院の分室として、軍医・ひめゆり学徒とともに重症患者が多数担ぎ込まれた。負傷兵の数は増し、1,000名近い患者達で地獄のようなありさまとなった。

②嘉数高台公園

沖縄戦の最激戦地。日本軍は嘉数高地を防衛拠点のひとつとし、上陸した米軍と16日間一進一退の攻防を展開した結果、日本軍は多大な戦死者を出した。嘉数高台公園にはこの地で闘った第62師団に京都出身が多かったため「京都の塔」、日本軍の弾薬運搬や陣地構築に使役された朝鮮人軍夫を祀った「青丘の塔」、地元住民の慰霊塔「嘉数の塔」がある。

③瀬崇の浜・辺野古漁港

辺野古新基地は大浦湾に建設が予定されている。新基地の面積は東京ディズニーランドの2倍以上、現在の普天間基地より機能を強化した新基地で、陸・海・空一体となった恒久的な軍事基地となる。埋立区域の4分の3にあたる大浦湾側では軟弱基盤が確認されているが、防衛省は必要な準備が整ったとして、2024年1月10日に着手した。すべての工事や手続きが終わり、普天間基地の移設が可能になるまでには12年ほどかかるとされている。

④嘉手納飛行場(道の駅かでな)

嘉手納町、沖縄市、北谷町に跨る極東最大(ロシア~東南アジア)の空軍基地。特に、嘉手納町においては、町面積の82%を占めている。軍種を問わず米軍機が使用する一大拠点となっているため、爆音による被害が軽減されることはない。

6月25日(火)三日目

逓魂の塔(満州事変から沖縄戦までに亡くなった逓信職員を祀ってある)で慰霊式が行われた。はじめに先の大戦で亡くなった人々への哀悼の意を込め黙祷を捧げた後、主催者を代表して、鈴木副中央執行委員長より「情報労連として創り育てる平和を次代に継承し、平和な社会の実現に向け全力をあげて取り組む」と挨拶。引き続き、各組織の代表者による焼香及び献花、千羽鶴を献鶴し閉会した。
その後、「平和祈念資料館」「平和の礎」「ひめゆりの塔」「魂魄之塔」を見学。
午後からは、平和学習会として、ジャーナリストの布施祐仁さんが「沖縄を再び戦場にしてはならない~南西諸島の要塞化と戦争回避の道~」と題して講演が行われた。
最後に、解団式が行われ、参加者3名からの行動報告の後、小田嶋中央運動推進局長が行動まとめの後「平和は当たり前ではなく、不断の努力で創られている。『創り育てる平和』を次代につないでいくため、ピースフラッグに思いが込められている。」と挨拶。引き続きピースフラッグリレー「沖縄から広島へ!平和をつなごう」を行い、全体での「団結ガンバロー」で全日程を終了した。

参加者からの報告

埼玉県支部協・副会長 松本 悦子

沖縄の言葉で「命どう宝」は、命は宝物であると意味する。大戦でまさにその宝物である命を祖国の為に落とされた人々への哀悼の意を込め、参加者全員で黙祷を捧げた沖縄ピースすて~じであった。今年で32回目を迎え、次世代を背負うべき若者が多く見られ、今後に期待したい。自分の役割として、子供・孫世代には絶対に現地に来て、平和の尊さを学んでもらうつもりである。

福井県支部協・事務局長 吉田 孝行

家を出る時、5歳の孫に「じぃじ、沖縄にお魚さんいる?クルマで行くの?」と聞かれた。
こんな無邪気な孫に“平和の大切さをどう伝えるか”が、じぃじの平和行動のミッション。
真っ暗なガマに隠れ、敵に怯えながらも命がけで、手足を失ってうめき声をあげる兵士に水を飲ませる、ひめゆり学徒隊。胸がしめつれられる。
帰ったら孫に言おう「ケンカ(戦争)しないでね。みんなと仲良く(平和)してね」と。
戦争は絶対いけない。何があっても生き抜くこと。心に刻もう「命どぅ宝」

長崎県支部協・副会長 石田 貞芳

慰霊式終了後、平和祈念資料館に女性がこぶしを挙げた「沖縄を返せ」の掲示物を見た。昭和四十年代、♪~固き土を破りて、と反戦平和集会でよく歌った。
戦跡学習で見た普天間基地、辺野古の埋立地、嘉手納空軍基地、ひめゆりの塔に向かうバスの横を走る不発弾処理車を見ると土地も日常生活も返ってない。沖縄を発つ朝、米兵の少女暴行事件の政府対応のニュース、怒りと沖縄県民に申し訳なさが強く刻まれた「ピースすて~じ」となった。


糸数アブチラガマ
嘉手納基地飛行場

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