情報労連「2023沖縄ピースすて~じ」は、6月23~25日の3日間、全国から約160名が参加し開催された。退職者の会からは、山形支部協・武田豊、新潟支部協・菅井秋彦、愛媛支部協・末廣重美、大阪支部協・辰巳義明(オブ)、大阪支部協・本田節雄(オブ)、中央協・髙橋洋子の6名が参加した。
行動報告
1日目(23日・金曜日)
(1)連合2023平和オキナワ集会
連合2023平和オキナワ集会は、15時から那覇市内にある「那覇文化芸術劇場なはーと」にて、「語り継ぐ戦争の実相と運動の継続で恒久平和を実現しよう」をテーマに開催された。
集会の第1部は、山本章子琉球大学国際法政学科准教授による「日米地位協定と沖縄」とする基調講演が行われ、日米地位協定の性格や日米地位協定の問題等についての基調講演は行われた。第2部では、参加者全員の黙祷の後、芳野友子連合会長が『平和なくして、私たちの暮らしも労働運動もない。皆さんの力で、世界の恒久平和を実現する。私たち一人ひとりが平和運動の担い手・発信者となり、この輪を一緒に広げていきましょう。』と主催者挨拶を行い、東盛連合沖縄会長の地元歓迎挨拶をはじめ、玉城知事のメッセージや沖縄選出国会議員ら来賓紹介があり、沖縄から広島へのピースリレーの後、平和アピールを採択し閉会した。
(2)情報労連「2023沖縄ピースすて~じ」結団式
連合集会終了後、同じ那覇文化芸術劇場(なはーと)内で移動し、結団式が行われた。
結団式では、情報労連安藤中央執行委員長より『ひとり一人が現地行動を通じて、戦跡と戦後の実情に触れ戦争の愚かさ悲惨さを実感し、平和を実現する推進者として一緒に取り組もう』と挨拶、続いて仲宗根現地実行委員長が『皆さんが体感する沖縄の問題を、それぞれの家庭や職場・地域に持ち帰り、伝え広げてほしい。』と歓迎の挨拶をした。続いて、吉川さおり組織内参議院議員の激励挨拶、比嘉現地実行委員会事務局長より3日間の行動提起の後、支援スタッフによる団結ガンバローで終了した。
2日目(24日・土曜日)
戦跡・基地学習行動
参加者はバス6台に分乗し、戦跡・基地学習会が行われた。
行動では、全国からの情報労連役員等が支援スタッフとして各行動を支援してくれ、バスに分乗しガイド役等を担ってくれた。退職者の会参加者が乗った1号車では、4名の支援スタックが各戦跡等での案内・説明を行ってくれた。
初めに、訪れた糸数壕(アブチラガマ)は、南城市玉城字糸数集落にある全長270kmの大きな自然洞窟(ガマ)であり、沖縄戦で住民の避難場所、陣地として利用され、のちに南風原陸軍病院の分室として利用された場所である。
入壕し、黙祷の後、壕内での生活等の説明や、明かりを消し真暗な中で、ここで生活した証人の話し(録音)、病院の分室として軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、沖縄戦後期には1000人近い患者であふれ地獄と化したような当時の説明を聞いた。
次に向かった嘉数高台公園では、日本軍のトーチカやトンネル跡を見学し、防衛拠点となったこの地での戦闘の激しさを思った。また、展望台から普天間飛行場をのぞみ、その大きさ(東京ドーム100個分)やあまりに近い周辺地域との距離感等を見て「世界一危険な基地」を実感した。
普天間飛行場は、宜野湾市の中央部に位置し、地域の振興開発の著しい障害となっているだけでなく、航空機騒音の発生や航空機事故の危険性等、沖縄が抱える米軍基地問題の象徴ともいえる存在である。2004年8月の輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落炎上、2016年にはオスプレイが名護市安部の海岸に墜落、等の事件は記憶に残っている。
次に、辺野古新基地が進められている瀬高の浜・辺野古漁港を訪れた。埋め立てられている辺野古の海辺に立ち、辺野古新基地の概要についての説明を受けた。埋め立てがほぼ終了している辺野古や埋め立て予定の大浦湾を見わたし、新基地建設の愚かさを実感した。
その後、道の駅「かでな」に行き、展望台から嘉手納基地をのぞみ、その大きさに圧倒された。嘉手納飛行場は、嘉手納町の町面積の82%を占める極東最大(ロシア~東南アジア)の空軍基地であり東京ドーム420個分もあり、軍種を問わず米軍機が使用する一大拠点となっているため、爆音のよる被害が大きく事故も多いといわれている。
2日目は、戦中、戦後の沖縄の実情を目や耳で体感する貴重な学習となった1日であった。
3日目(25日・日曜日)
(1)逓魂之塔・慰霊式
初めに平和記念公園内に設置されている逓魂之塔で慰霊式が行われた。
逓魂之塔は、沖縄戦で亡くなった逓信職員506柱の御霊を祀る塔である。
慰霊式では、はじめに安藤委員長が『今を生きる者の責任として恒久平和の実現に向け努力を続けることを誓う』と挨拶し、焼香、献花とともに全国の仲間からの千羽鶴の献鶴が行われた。
(2)戦跡・基地学習行動
その後、平和の礎、平和祈念資料館を見学した。沖縄戦で犠牲となった沖縄県民、国内外の全ての人々の名前が刻まれた平和の礎には、この日も花束を持った人たちが多数訪れ手を合わせていた。
また、平和祈念資料館では、沖縄戦の状況など、戦前・戦中・戦後の沖縄の歴史を学んだ。
続いて、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館を訪れた。
ひめゆりの塔の前で全員で黙とうの後、ひめゆり平和祈念資料館で、ひめゆり学徒の学生生活や戦争体験等を写真や手記で学んだ。戦争前の楽しそうな学生生活を知ると、戦争の悲惨さや怒りが何倍にもなり、あらためて平和の尊さを実感することができた。
(3)平和学習会(講演)
宿泊ホテルに戻り平和学習会が行われ、2日目から共に行動してきた組織内石橋参議院議員より、沖縄の現状や課題、政治の役割等についての講演を受けた。
講演では、日本で進む軍事力増強の現状や、矛盾だらけの新基地・ミサイル基地建設等についての説明や、有事を起こさせないようにする外交努力こそが、政治の役割に他ならない、政治によって平和憲法が壊されないよう、主権者である皆さん一人ひとりの行動こそがなによりも大切だ、と強く・熱く語った。
(4)報告集会・解団式
続いて、報告集会が開催され、3人の参加者(通建・KDDI・北陸ブロック)からの報告を受け、情報労連大方局長による行動まとめ、沖縄から広島へピースフラッグリレーが行なわれ、最後に団結ガンバローで3日間の活動が終了した。
参加者からの報告
中央協 髙橋 洋子
平和は「創り育て」なければならないことを実感した3日間だった。他人事ではなく基地問題を考え、基地のない沖縄、平和な世界にむけて行動していく。
戦跡・基地学習では、ガイド役に情報労連各組織からの組合役員に担って頂き、丁寧でわかりやすい説明を受けた。地元沖縄からのガイド役の方は、基地問題を日常の問題として語り『次の世代に残さないため、今行動している』との発言が頼もしかった。また、車中でサンシンの弾き語りを披露してくれるなどスタッフ全員に感謝します。
山形支部協 武田 豊
60歳最後の年に貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。私は「戦争を知らない子供たち」を唄い学んだ。これからは「平和の大切さを語る大人」でありたい。
知る・覚える・動く・考える。知覚動考(ともかく動こう)
新潟支部協 菅井 秋彦
平和四行動に初めて参加しましたが、戦時の沖縄の惨状を目のあたりにして、戦争をさせない政治が絶対に必要だと改めて感じました。また、今回ご一緒した退職者の会の方々と仲良くなれてとても良かったです。
愛媛支部協 末廣 重美
今回の平和行動で衝撃を受けたのは戦時下でのアブチラガマでの生活の悲惨さや平和祈念資料館での「ひめゆり学徒」の戦争体験を目のあたりにし、如何に平和であることの尊さを学びました。当初期待と不安が半々だった平和行動参加でしたが大変貴重で有意義なものになりました。
大阪支部協 辰巳 義明 *オブ参加
暑かった‼キツかった‼でも実際に現地で見られた事はものすごい勉強になった。基地が有って騒音が物凄いと聞いていたが、聞けなくて残念(不謹慎)。帰ったらみんなに共有します。
大阪支部協 本田 節雄 *オブ参加
今回、沖縄平和行動に参加させて頂き、沖縄が戦争から現在に至るまで苦しんでいる現状を知ると共に戦争の悲惨さを痛烈に感じました。戦争のない平和な日々が続き、子供や孫たちも安心して生きられるように「創り・育てる平和」を実行・実践したいと思っています。また、戻って感じた事を共有していきたいと思っています。最後に3日間サポートしていただいた素晴らしいスタッフに感謝いたします。