「非情残酷の歴史」感じて
千葉県支部協 小林一美
8月7日(水)から9日(金)「第30回長崎平和フォーラム」に参加致しました。3日間に渡り、情報労連主催の平和フォーラムの式典に参加し、被爆体験談・折り紙作成・万灯への寄書き等全員参加企画に参加、平和への若者達の構成詩、演技を観賞しました。そして、轟沈された海底ケーブル敷設船「小笠原丸」乗員の慰霊碑もお参りし、その後、悲惨な原爆落下中心地近辺の遺構めぐりを行い、「悲惨な人類の過ちの歴史」を感じながら回りました。連合主催「2019平和ナガサキ集会」「2020NPT再検討会議に向けたシンポジューム」にも参加、最終日は原爆資料館を見学し「被爆後74年電気通信労働者原爆被爆死没者慰霊式」に参列し献花を行い、ご冥福を祈り解散いたしました。
今回、参加して感じたのは、被爆体験・片方の柱がない鳥居・小学校の被爆建物・長崎に落とされた原爆のイミテーション・原爆被災時の悲惨な様子の写真・絵など見て被爆者の痛みを感じ、「絶対」この世の中で原爆はだめだと感じました。又、一般市民を巻き込んだ沖縄戦・広島原爆・長崎原爆・東京大空襲等「非情残酷の歴史」に対し、戦争をしてはいけないと肝に銘じました。
今後は指導者達に子供達を戦争資料館等見学させ「戦争の無い事への感謝の気持ち」を持つ教育をして頂くよう活動したいと思います。
最後に長崎支部協の皆さまの心温まる接待に対し感謝申上げます。
長崎平和フォ-ラムに参加しての感想
兵庫県支部協議会 岡本和雄
今回、初めて原爆の地、長崎へ行かさせて頂きました。
バスでの原爆遺構巡りは、傾いた校舎が現在も資料館として残っている城山小学校、原爆資料館では被爆された方々の品々、目をそらしたくなる様な写真、また、継承部の方から、原爆投下時の無残な惨状と、多くの命を一瞬にして奪い、苦しんでいる現状の聞き、原爆投下から74年経過しても今なお苦しんでいる現状があることに、原爆の恐ろしさを改めて考えさせられました。
戦争・原爆の恐ろしさを、語り継いで行く人が、高齢化のため年々減少してきており、戦争・被爆体験を風化させないよう、今回経験したことを、機会あるごとに伝えていくことの重要性を改めて認識しました。
平和フォーラムに参加して
香川県支部協 石川正治
平和フォーラムに参加して本当に感動しました。私事にはなりますが生前の父が、「弟が長崎医大を出て軍医に徴兵されビルマで戦死した」という話をしていて、一度は長崎の地で偲びたいと思っていました。
そのことを交流会で話したところ、長崎県支部協の方が特別に医大まで案内して頂き、思わぬ対応に本当に感謝をいたします。
フォーラムの取り組みでは、そのプロ並の運営ぶりは見事で、とかく「最近の若い者は・・・」という言葉はここでは見られませんでした。3日間の行動でしたが、とても有意義な日を過ごすことができたと感動しています。
「海魂の碑」海底線から
沖縄県支部協 金城章
長崎平和フォーラムの「原爆遺構めぐり」で「海魂の碑」を訪れました。長崎市西泊町の海底線(NTT-WEマリン)事務所構内にあります。明治39年、海底線敷設船「小笠原丸」が建造され和文電報の取り扱いが開始されました。小笠原丸のほか2隻が建造されたが、大戦当時、日本船舶は攻撃の対象となり3隻ともに撃沈されました。特に小笠原丸は1945年8月22日に引揚げ船として、北海道の稚内から小樽へ向かう途中、魚雷攻撃を受け沈没、引揚者約600人中581人、乗組員99人中57人が犠牲となりました。
ふと、沖縄の学童疎開船対馬丸事件のことが思いだされた。1994年8月22日である。戦争は無辜の人々を犠牲にする。