「平和行動in沖縄2019」は、6月23日(日)~25日(月)の3日間にわたり、全国各地から約300名の組合員が参加し行動が展開された。退職者の会からは、山口支部協・河重幹事、愛知支部協・奥村副会長、静岡支部協・内山浜松地区協幹事、福島支部協・いわき地区協事務局次長、中央協佐々木副会長の5名が参加した。
初日の午後からは、沖縄空手会館で「連合2019平和沖縄集会」が全国から1274名を集め開催された。
第一部は、「他国地位協定調査について」沖縄県知事公室基地対策課島袋調査室長による基調講演が行われた。島袋氏は、日米地位協定の抜本的見直しを実現するためには、この問題を国民全体の問題として受け止める必要がある。
しかし、現状は、米軍専用施設が沖縄に集中していることもあり、日米地位協定の問題に関する理解と議論が全体のものに至っていない。
ドイツ、イタリア、ベルギー、イギリスの現地調査を行った。その結果、いずれも原則として国内法を駐留軍に適用している。国内法が適用されないのは日本だけ。今後は、調査対象国を韓国、フィリピン、オーストラリアなどアジア諸国等にも拡大することで、調査の更なる展開を図り、日米地位協定の問題点を更に明確化をはかる。と話された。
第二部は、戦没者に対する黙祷を捧げた。主催者を代表して相原連合事務局長は、「米軍基地をめぐる問題は、沖縄だけの問題ではなく日本全体の問題である。その事を私たちの胸に刻み、日本政府には毅然として米軍に対する徹底的な安全管理・再発防止を求めていきたい」と挨拶。続いて、地元を代表として、大城連合沖縄会長の歓迎の挨拶の後、富川沖縄県副知事が玉城知事のメッセージを代読した。その後、沖縄から次の平和行動の地である広島にピースリレー。最後に「平和アピール」を採択し閉会した。
続いて、沖縄空手会館研修室に会場を移し、「情報労連2019沖縄ピースすてーじ」の結団式が行われた。主催者を代表して柴田情報労連中央本部書記長が、「本行動は3日間という短い時間であるが、『現在・過去・未来』の沖縄の人の気持ちに寄り添い考えていただければ幸いです」と挨拶があった。
次に、地元を代表して仲宗根地元実行委員長から、「沖縄ピースすてーじ」を通し、五感で感じた沖縄の歴史と実情をそれぞれの地域や職場に持ち帰り、「創り育てる平和」への運動の展開へとつなげていただきたい。また、本行動を次世代への平和のバトンの引き継ぐ行動として、取り組みを進めて行きたい。と挨拶があった。
続いて、「石橋みちひろ参議院議員」「吉川さおり参議院議員」から激励の挨拶があった。
最後に、堀井弘文支援スタッフの力強い「団結ガンバロー」で終了した。
ホテルに到着後、沖縄県支部協の松田会長代行、黒島顧問と中央協派遣の参加者、オブ(大阪支部協1名)とホテル近くの琉球料理店で交流を深めた。
二日目は、午前8時にホテルを出発。今日は慰霊祭と平和学習、嘉手納基地集会の行動。
まず、逓魂之塔で慰霊祭が行われた。はじめに参加者全員で黙祷を捧げたあと、主催者を代表して、柴田情報労連中央本部書記長より「ここに505柱の先輩方の御霊が祀られています。亡くなられた方々に思いをはせ、皆様方から気持ちのこもったご冥福をお願いしたい」との挨拶があった。
続いて、柴田書記長、水野組織局長、仲宗根現地実行委員長が焼香、献花、各組織代表による献鶴台へ千羽鶴を献鶴した。
なお、退職者の会からは、佐々木中央協副会長が献鶴した。
その後、戦跡学習で県立平和祈念資料館、平和の礎を見学し、嘉手納基地周回行動を行うため、沖縄市の八重島公園に集結した。
小雨が降りしきる中、「2019沖縄ピースすてーじ」の嘉手納基地周回行動が、県外から240名余、地元から60名余が参加し、平和行進がスタートした。
出発に先立ち、宮城行進団総括から周回行動における注意事項があり、引き続き支援スタッフ軸屋さんから「日米地位協定の抜本見直し、沖縄の基地の縮小整理に向け心をひとつにして、一致団結してガンバロー」と力強く三唱して八重島公園をスタートした。
退職者の会は、先頭集団で行進。「辺野古新基地建設反対」「地位協定を見直せ」「基地の整理縮小をはかれ」など、シュプレヒコール。この「嘉手納基地周回行動」を通して、沖縄に米軍基地の70%が集中している現実の一部を垣間見た。
ホテル到着後、夜には沖縄県支部協と役員と中央協派遣参加者で、琉球料理、琉球舞踊を見ながら交流を深めた。
三日目は、午前8時にホテルを出発。今日の行動は、戦跡・基地学習、平和学習(講演)、解団式である。
まず、バスで移動し、嘉数高台公園へ。高台を上がっていくと展望台があり、世界一危険な基地と称される普天間基地が一望できる。基地周辺は住宅、小学校など密集しており、実感できた。激戦地であり、日本軍は多大な戦死者を出し、嘉数の住民、朝鮮人軍夫にも多数の戦死者がでた。
地元嘉数の住民が多く戦死した「嘉数の塔」、京都出身が多く戦死した「京都の塔」、朝鮮から強制連行されこの地で戦死した「青丘の塔」があり、黙祷を捧げ哀悼の意を表し、後にした。
次に、「道の駅かでな」では、建物の屋上展望台から東京ドーム420個分、成田空港と羽田空港を合わせた面積より広く、4000メートル滑走路が2本ある嘉手納基地か一望できる。嘉手納基地は、嘉手納町、沖縄市、北谷町に跨る、極東最大の空軍基地であり、嘉手納町においては、町面積の82%を占めている。
あまりの広さに、驚きを感じた。
次に、チビチリガマへ移動。ここは、沖縄戦で避難壕に使われた自然壕。1945年4月1日に米軍が上陸し、チビチリガマに避難していた住民139名のうち82名が集団自決を遂げたところである。全員で黙祷を捧げた。
その後、昼食のため大浦パークに向かった。雨も上がり、海岸を眺めての昼食となった。
昼食後、瀬嵩浜から辺野古新基地建設地の海を見た。海上フェンスが張ってあり、監視船が停船していた。これまで示された、沖縄県民の声を無視し、建設を続けることは許されない。工事はまだ全体の1%とのこと。沖縄県民と共に建設反対の声を上げていきたい。
次に、ひめゆりの塔へと向かった。看護要員として戦場に動員され、亡くなった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔。米軍の攻撃によって、壕の中にいた96人のうち87人もの方が命を落とした。全員で黙祷を捧げた。
その後、ひめゆり平和祈念資料館を見学した。
バスでホテルに戻り、平和学習会に参加した。
沖縄から見た「日本の現状」と題して、前泊博盛氏(沖縄国際大学院教授)の講演があった。
①選挙民主主義の否定 ②返らない普天間基地 ③辺野古新基地建設強行の真相 ④解決策 ⑤日米地位協定の問題点 ⑥日米地位協定問題の解決策など、広範囲にわたってユーモアを交えて語られた。最後に、国会議員、国民は沖縄のことを知らなすぎる。このような行動を通じて、知って行動を起こしてほしいと。
その後、報告集会・解団式が行われた。
3名の参加者代表から行動参加者報告が行われた。共通しているのは、「今回の行動を通じて、大変勉強になった。沖縄の実相を職場や家族に伝え、平和の取り組みを拡げていきたい」と力強く述べられた。
行動のまとめでは、水野組織局長はスタッフの労をねぎらった後、「3日間の行動を通じて、視て、聴いて、感じたことを拡げてもらいたい。今後、広島、長崎、北海道に創り育てる平和につなげていきたい」と述べられた。
続いて、仲宗根沖縄県協議会議長から大本広島県協議会議長にピースフラッグリレーが行われ、フラッグを受けた大本広島県協議会議長は「熱い思いを受けた。広島ピースフォーラムを成功させ、長崎につなげていきたい」と決意を明らかにした。
最後に、永渕達也支援スタッフの音頭で「団結ガンバロー」を三唱し、3日間の行動を終了した。