情報労連広島ピースフォーラム2018が、8月4日~6日にかけて約200名が参加し開催された。
退職者の会は、支部協から本間さん(宮城)、笠原さん(栃木)、新井さん(神奈川)、三浦さん(島根)、山口さん(鹿児島県)、中央協から高見副会長が参加した。その他大阪支部協 5名、千葉県支部協2名のオブ団と広島県支部協6名が参加した。
1日目は、ワークピア広島でピースフォーラムが開催された。
はじめに、主催者代表して情報労連野田委員長は、「西日本豪雨によって亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。情報労連としては、ボランティア、カンパ活動等、継続性を持って支えていきたい。世界情勢は、『世界の終末時計』では、2018年1月、残り2分前で、アメリカとソ連が水爆の実験に成功した1953年と並んで過去最低の水準となっている。非核化に向け6月12日米朝首脳会談が行われたが、その後進展はない。また、日本は唯一の戦争被爆国にもかかわらず「核兵器禁止条約」の採決自体にも参加していない。情報労連は「核兵器禁止条約」批准に向け連合と連携し、活動を強めていくとともに、今後も平和運動を展開していく」とあいさつした。
導入学習では、体験証言をNTT労組広島原爆被爆者・二世協議会副会長の松木さんより、「小学3年で被爆した当時の話を聞いた。お父さんからは家紋に傷がつく、結婚・就職にも影響があるから原爆にあった事を人には言わないように言われていたが、被爆手帳を持っているが故、情報労連の平和4行動を通して証言活動続けていく」と述べた。
続いて、広島市立大学の福井康人准教授よる「核兵器禁止条約の展望と課題」の特別講演では「現在3Dプリンターにより、インターネットを介して、殺傷能力のある銃器などが作れる時代になっている。法律が技術に追い付いていない。1970年核兵器保有国の増加を防ぐこと目的とした『核不拡散条約』NPTが発効されたが、持っている国と持っていない国の差別のもとになっている。また、核保有数は米国、ロシアでは減っているものの、米国の核弾頭が6450~6800発、ロシア6600~7000発を保有している。『核兵器禁止条約』の発効に向けては、現在60か国が署名、批准した国は14か国で、発効に必要な50か国にはギリギリの状況となっている。今後の課題として、条約の実効性確保、条約の普遍化問題、NPTとの調和が考えられるが、先ずは早期発効が重要」と述べた。
次に、バスでNTT基町ビル慰霊碑へ向かい、慰霊式を行い、一日目を終了した。
その後、中央協の参加者、広島県支部協、退職者の会オブ参加者で懇親会を行い、交流を深めた。
2日目、今日一日は、中央協の参加者とオブ参加者は別行動。
中央協からの参加者は午前中、現地スタッフの説明を聞きながら平和記念公園ピースウォーク(原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像、原爆ドーム等)後、広島平和記念資料館の見学だったが、来館者多く見るのが大変だった。
なお、毎年、原爆死没者慰霊碑に原爆記念日の朝、遺族や関係者から届出のあった人の名前が名簿に書き加えられ、石室に納めらる。平成30年5,393名が追加奉納され、115冊、31万4,118名となっている。
午後は、被爆建物見学(広島城、袋町小学校、広島陸軍被服支廠、御幸橋等)し、被爆の実相を目のあたりにした。
見学終了後、午後5時から連合「平和ヒロシマ集会」へ参加。
主催者を代表して神津連合会長は、「沖縄を皮切りに広島、長崎、根室とピースガイドを語り継ぎたい。また、核兵器廃絶に向けて世界的な気運は高まりつつあるが、日本は「核兵器禁止条約」に参加していない。唯一の戦争被爆国としての主体的な役割を発揮すべきである。核兵器の廃絶に向けて広島・長崎の被爆者がこれまで果たしてきた重要な役割を受け止め、対立する核兵器国と非核兵器国の橋渡し役と世論喚起を世界に働きかけていく。本集会は『知り、感じ、考える』集会としたい」とあいさつした。
その後、来賓あいさつや被爆者体験と続き、1998年からスタートした高校生平和大使が、第21回目となる今年、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に高校生1万人署名を手渡し、「核兵器の廃絶と世界の恒久平和を求める被爆地の願い」を伝えると、力強い決意を表明。
最後に、平和アピールを確認し終了した。
3日目は、午前8時にワークピア広島に集合し、平和記念式典に映像で参加し、原爆が投下された午前8時15分に参加者全員で黙祷を捧げた。その後、原爆詩、被爆体験記を全員で朗読した。
続いて、広島グル連frageによる「地図から消された島(広島県・瀬戸内海の大久野島)」の発表を聞いた。1929年から終戦まで、ひそかに毒ガス兵器を製造していたが、毒ガス兵器という国際的に禁止された兵器をつくっていたので、戦争中は地図から消されていた。
イペリットをはじめとした各種毒ガスの製造過程では多くの障害者を出した。また、この島での仕事の内容や起きたことは一切外部に漏らさない様、誓約書を書かされたということである。大久野島には今でも赤筒(毒ガスの一種)が埋設されたままになっていて、大久野島の毒ガスの歴史はまだ終わっていない。
まとめ集会で、水野情報労連組織対策局長は、「暑い3日間、広島の皆さんは、西日本豪雨の復旧支援の中、同時並行でフォーラムの実施に向け実行委員、現地スタッフの皆さんのご苦労に感謝申し上げる。この3日間のフォーラムで見て、聞いて、感じた事を職場、家族の皆さんに伝えて欲しい、またSNSでも発信してほしい。そして、恒久平和に向けた取り組みを誓い終わりとする。」とあいさつした。
最後に、沖縄からリレーされたピースフラッグが大本情報労連広島県協議会議長から、上田情報労連長崎県協議会議長へと引き継がれた後、広島アピールを採択して、全日程を終了した。