「2017沖縄ピースすてーじ」は、6月23日(土)~25日(月)の3日間にわたり、全国各地から約400名の組合員が参加し行動が展開された。退職者の会からは、群馬県支部協・桑原副会長、石川県支部協・宮本副会長、徳島県支部協・阿部副会長、高知県支部協・国弘会長、中央協 川辺事務局長の5名が参加した。
初日の午後からは、浦添市民体育館で、「連合2018平和オキナワ集会」が全国各地から1200名を集め開催された。
第一部は、「沖縄基地問題について」元沖縄タイムス論説委員で、現在は沖縄国際大学非常勤講師・フリージャーナリストの屋良 朝博氏による基調講演が行われた。屋良氏は『沖縄は1972年5月に本土復帰をしたが、なぜ今も沖縄に多くの基地が存在するか?以前は、日本本土にも多くの米軍基地があり、アメリカはなおも本土内に基地の拡張を日本政府に求めが、基地周辺の地元で猛烈な反対闘争(砂川闘争)が巻き起こり、基地の整理・縮小を余儀なくされた経過があった。沖縄は、歴史的に日本と中国の両面外交を行ってきたことなどを含め、アメリカは、沖縄に米軍基地を集中させても日本政府は看過するのではないかと思っている。だから沖縄がいくら反対しても辺野古に新基地を作ろうとしている。安全保障は、国防論ではなく外交重視』との見方を示した。
第二部は、戦没者に対する黙祷を捧げた。主催者を代表して神津連合会長は、「今日6月23日は沖縄の慰霊の日。次の世代に語り継ぎ、二度と戦争は起こさせないよう連合は平和運動を継続していく。平和は安心して暮らしていく上での大前提。沖縄の基地問題は日本全体の問題として、日米地位協定の見直しと米軍基地の整理縮小を求め、取り組みを発展させていく」と述べた。
続いて、大城連合沖縄会長から地元歓迎の挨拶。富川沖縄県副知事が翁長知事のメッセージを代読した。
その後、沖縄から次の平和行動の地である広島にピースリレー。最後に「平和アピール」が読み上げられ、全体で確認し終了した。
続いて、浦添市てだこホール市民交流室に会場を移し「情報労連2018沖縄ピースすてーじ」の結団式が行われた。主催者を代表して柴田情報労連中央本部書記長は最初に、6月18日発生した大阪北部地震で亡くなられた方、被災された方へのお見舞いを述べた後、「6月23日は沖縄における日本の戦争が終結した日。しかし、沖縄に本当の平和が訪れているのか?米軍の事故が相次いで起きている。沖縄だけが被害を受けている現状はおかしい。これからも在日米軍基地の整理・縮小を目指していく」と挨拶した。
次に、地元を代表して仲宗根地元実行委員長は「沖縄戦で多くの尊い命が奪われた悲惨な戦争、戦火による犠牲者に哀悼の念をささげ、忌まわしい過去を学び風化させない取り組みをつなげていく。また、いまだ県民を苦しめている米軍基地の実相を見て、聴いて、歩いて感じて欲しい」と挨拶した。
続いて、「吉川さおり参議院議員」「石橋みちひろ参議院議員」から激励の挨拶。
最後に村形由佳支援スタッフの力強い「団結頑張ろう」で行動がスタートした。
ホテルに到着後、沖縄県支部協の瀬良垣会長、黒島顧問と中央協派遣の参加者、オブ(大阪支部協1名)とホテル近くの琉球料理店で交流を深めた。
二日目は、午前8時にホテルを出発。今日は、慰霊祭と平和学習、嘉手納基地集会行動。
まず、逓魂之塔で慰霊祭が行われた。はじめに参加者全員で黙祷を捧げたあと、主催者を代表して、柴田情報労連中央本部書記長は、「この塔には沖縄逓信省関係者先輩方505柱が祀られている。心から哀悼の誠を捧げる。情報労連の平和行動のコンセプトは、『創り・育てる』であり、受け身ではなく一人一人の問題として平和の課題に向き合って取り組んで欲しい」と挨拶した。
続いて柴田書記長、水野情報労連組織局長、山田NTT労組中央執行委員、石橋みちひろ参議院議員、仲宗根現地実行委員会委員長が焼香、献花、各組織代表による献鶴台へ千羽鶴を献鶴した。
なお、退職者の会からは、川辺中央協事務局長が献鶴した。
その後、戦跡学習で、県立平和祈念資料館、平和の礎を見学し、嘉手納基地周回行動を行うため、沖縄市の八重島公園に集結。出発式を行ったあとスタートとした。
前日、梅雨明けした沖縄は、朝からグングン温度が上がり、太陽が燦々と照り付ける中、出発前には、既に身体は汗でベトつく状況。
退職者の会は、一番の先頭集団で元気に行進。「爆音のない沖縄を返せ」「地位協定を見直せ」など力強くシュプレヒコールを行った。行進中の給水や最終地点の嘉手納スポーツドームでのカキ氷のサービスはとても嬉しかった。地元支援スタッフの心配りに感謝。
ホテル到着後、シャワーを浴びて後、沖縄県支部協の役員と中央協派遣の参加者で琉球料理、琉球舞踊を見ながら親しく交流を深めた。
三日目は、午前8時にホテルを出発。今日の行動は、戦跡・基地学習、平和行動・学習、解団式。
我々を乗せたバスは糸数豪へ到着。この洞窟は、日本軍の地下陣地・倉庫と使用され、戦場が南下につれて南風陸軍病院の分室となったところ。
参加者は、ヘルメットを被り、懐中電灯をかざして壕に入った。中に入ると遺物やカマドの跡、井戸が見える。参加者が一堂に集まると、ガイドの指示で懐中電灯を消し、体験者のテープを真っ暗闇の中で聴く。その体験者は、自分の身体にウジ虫が這いずるのを感じ、近くの負傷者の身体からウジ虫が湧いていたことを証言する。爆風でふっとばされたが運良く、倒れたところに水があり、生き残ったという。まさに地獄の感。
次は、嘉数高台公園へ。高台を上がっていくと展望台がある。ここは、普天間基地が一望できる。基地の周辺は、住宅や学校等の公共施設などが密集し、世界一危険な基地が実感できる。ここはそればかりではなく、沖縄の激戦地の一つで、待ち構えていた日本軍と米軍との最初の大規模な戦闘が行われた。足下には住民が避難した洞窟、戦闘に使用したトーチカ、弾痕の跡、地元嘉数の住民の多くが戦死した「嘉数の塔」、京都出身が多く戦死した「京都の塔」、朝鮮から強制連行されこの地で戦死した「青丘の塔」がある。哀悼の意を表しつつ、後にした。
その後、昼食のため大浦パークへ向かったが、スコールみたいな土砂降りでバスの中での昼食となった。
昼食後、支援スタッフが用意してくれたカッパを着て瀬嵩浜から、辺野古新基地建設予定の海を見た。ここは、約2キロメートルに及ぶ海上フェンスが張ってあり、その中に埋め立てのためのコンクリートブロックが投入されている。8月17日には土砂投入が予定されているという。土砂が投入されれば海は元にも取らない。ジュゴンもいつの間にかいなくなったとガイドさんが言っていた。
次に、辺野古漁港に向かった。辺野古は、景観も素晴らしく、珊瑚礁のエメラルドグリーンが広がる。その河口でテントを設置し、身を挺して反対運動を続けている人たちがいた。また、辺野古新基地入口付近に、新基地建設反対のため監視を続けている大勢の人々がいた。特に女性の姿が目立った。
その後、「道の駅かでな」では、建物の屋上に登り、展望台から東京ドーム420個分、成田空港と羽田空港を合わせた面積より広く4000メートル滑走路が2本あるという嘉手納基地が一望できる。あまりに広い。この土地は沖縄県民のものだ。基地の整理・縮小は日本全体の問題だ。との実感を強めた。
バスでホテルに戻ると、平和学習会が開かれた。
講師は、沖縄国際大学教授の佐藤 学氏。講演テーマは「沖縄の基地をめぐる県内状況」について。佐藤氏は今年2月の名護市長選挙はなぜ敗れたのか?について『名護に地域分断を持ち込むなという小泉新次郎の応援演説に市民が共感した一面もあるのではないか。辺野古の座り込みの多くは名護市民以外の方で交通渋滞が発生。また、子供の貧困問題……一時的ではあるが国からの補助金で保育園、給食費の無料化。名護市民がより現実的な市政運営を求めたのではないか。辺野古疲れ?こういう中で名護市民の視点に立てなかったことも敗因の一旦』と指摘。また、11月の知事選について『翁長知事が出馬できるのか。翁長知事は保守政治家としての強みを発揮してこなかった。オール沖縄の実質的終焉。有力地元企業が抜け始めている』と知事選について分析。また、沖縄の基地問題についても熱心に語られた。
そのあと報告集会・解団式が行われた。
5名の参加者代表者から行動参加報告が行われた。共通しているのは、「今回の行動で、勉強になった。沖縄の実相を職場や家族に伝え、平和の取り組みを拡げて行きたい。」ということだった。
行動のまとめでは、水野情報労連本部組織局長は、スタッフの労をねぎらった後、「今回の行動で視て、聴いて、感じたことを拡げていってもらいたい。今後、広島、長崎、北海道に創り育てる平和をつなげていきたい。」と述べた。
続いて、仲宗根情報労連沖縄県協議会議長から山根広島県協副議長にピースフラッグリレーが行われ、フラッグを受けた山根広島県協副議長は「熱い思いを受けた。広島ピースフォーラムを成功させ、長崎につなげていきたい」と決意を明らかにした。
最後に、水野局長の音頭で「団結がんばろう」を力強く唱和し、3日間の行動を閉幕した。