「2017沖縄ピースすてーじ」は、6月23日~25日の3日間、県外から260余名と地元80名が参加。退職者の会からは、上野中央協副会長、広島県支部協八幡さん、三重県支部協郡山さん、山梨県支部協山本さん、日向さん、奈良県支部協小林さんの6名が参加した。
まずは、浦添市てだこホール・大ホールで、「連合2017平和オキナワ集会」が全国各地から参加した1100名を集め開かれた。
オープニングでは、平和4行動DVD(沖縄版)が上映された。
第一部では、講師・山城克己(伊江島観光バス株式会社代表)による「沖縄の縮図・伊江島から学ぶ」をテーマにした基調講演が行われた。伊江島は、戦後米軍に強制土地接収され強制住民移動が行われたが2名がガジュマルの樹に隠れて暮らしていたことや集団自決に生き残った方がその後の教科書検定意見撤回に生き証人として参加したことなどパワーポイントによる戦跡を紹介しながら基地被害など戦後沖縄の縮図となっていることを語った。
第二部は、戦没者に対する黙祷を捧げた。
主催者を代表して神津連合会長は去る12日に亡くなった太田元知事のご冥福を祈ったあと「僅か0.6%の面積しか持たない沖縄には、日本全土の70%以上の基地が存在し、オスプレイの配備や辺野古の新基地建設、基地があるが故の犯罪が後を絶たない。日本人は、不都合な真実から目を背けて日々を暮らすことが習い性になっていないか。今、沖縄が抱えている問題は、日本全体の問題だ。防衛省は、沖縄県民の反対を押し切り、米軍の普天間飛行場の移設工事を開始した。政府は沖縄と丁寧な対応を重ねていく必要がある。連合は、在日米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的見直しに取り組んできたが、さらなる展開につなげていく。」と述べた。
続いて、大城連合沖縄会長から地元歓迎の挨拶。富川沖縄県副知事が翁長知事のメッセージを代読した。
その後、出村連合北海道会長が平和メッセージ。沖縄から次の平和行動である広島にピースリレー。最後に知念連合沖縄女性委員長が「平和アピール」を読み上げ、全体で確認された。
続いて市民交流室に会場を移動して「情報労連2017沖縄ピースすてーじ」の結団式が行われた。
主催者を代表して野田中央本部執行委員長は「平和4行動は、情報労連が取り組んできた平和4行動を連合としても一緒に取り組むようになり25回目を数える。五感をもって沖縄の過去、将来をどうしていくのか感じとって欲しい。本土では沖縄の課題に対する報道が少ないが、基地は、日本全体の問題であり、是非感じて欲しい」と挨拶した。
地元を代表して砂川地元執行委員長は「祖国復帰から45年経過したが、沖縄の民意は何ら反映されていない。基地『沖縄』の位置づけ、役割はまったく変わっていない。沖縄が抱える基地問題は、日本全体、自らの問題であることを、今日からの行動を通じて共有して欲しい」と挨拶した。
続いて、「吉川さおり参議院議員」「石橋みちひろ参議院議員」から激励の挨拶。
仲宗根地元実行委員会事務局が行動提起。最後に植田和孝支援スタッフの力強い「団結頑張ろう」で行動がスタートした。
ホテルに到着後、沖縄県支部協の瀬良垣会長、黒島顧問と中央協派遣の参加者、オブ(大阪支部協2名)と近くのお店で琉球料理を口にしながら交流を深めた。
二日目は、午前8時にホテルを出発、逓魂之塔に到着。
逓魂之塔で慰霊祭が行われた。
はじめに参加者全員で黙祷を捧げたあと、主催者を代表して、野田中央本部執行委員長は、「この塔には沖縄逓信省関係者先輩方505柱が祀られている。心から哀悼の誠を捧げる。情報労連の平和行動のコンセプトは、『創り・育てる』であり、受け身ではなく一人一人の問題として平和の課題に向き合って取り組んで欲しい」と挨拶した。
続いて野田委員長、梅田中央本部活動推進局長、石橋みちひろ参議院議員、砂川現地実行委員会委員長が焼香、献花、各組織代表による献鶴台へ千羽鶴を献鶴した。
なお、退職者の会からは、上野中央協副会長が献鶴した。
その後、嘉手納基地周回行動を行うため、北谷老人福祉センター駐車場に集結。出発式を行ったあとスタートとした。
この日、先週梅雨明けした沖縄は、朝からグングン温度が上がり、太陽が燦々と照り付ける中、出発前には、既に身体は汗でベトつく状況。
退職者の会は、一番の先頭集団で元気に行進。「爆音のない沖縄を返せ」「地位協定を見直せ」など力強くシュプレヒコールを行った。
退職者の会は、午後からは、沖縄県支部協のガイドにより戦跡めぐり。「道の駅かでな」では、建物の屋上に登り、展望台から甲子園球場の800倍、羽田空港の6倍と言われる嘉手納基地が一望できる。あまりの大きさに驚愕するだけではなく、基地を許している日本政府の理不尽さをつくづく思う。
続いて、ひめゆり平和祈念資料館。米軍が間近に迫った1945年6月18日、生徒たちが米軍の包囲する戦場に放り出され、数日間で100余名のひめゆり学徒が死亡したことを祈念して建てられた。解散命令後の彷徨の様子、生存者の証言の映像や証言本、写真などが展示されている。
この日の最後は、南風原壕群20号だ。これは、沖縄陸軍病院が空襲等によって施設が消失し、各壕へ移った一つだ。我々は、ヘルメットを被り、懐中電灯を持ってその壕に入った。
中には、地中に多数の衣料品類が埋められていたあとや米軍の火炎放射器による黒く焼けた高木や壁、天井などが悲惨さを物語っている。人がやっと通れる程の狭いところで手術をしていたと聴かされ唖然とする。心にずっしりと重いものを感じながら帰路に着く。
その後、沖縄県支部協の役員と中央協派遣の参加者で琉球料理、琉球舞踊を見ながら親しく交流を深めた。
三日目は、午前8時にホテルを出発。今日の一日の行動は、戦跡・学習行動だ。
退職者の会の1号車のまず最初の戦跡は、糸数壕だ。この洞窟は、日本軍の地下陣地・倉庫と使用され、戦場が南下につれて南風陸軍病院の分室となったところ。
参加者は、ヘルメットを被り、懐中電灯をかざして壕に入った。中に入ると遺物やカマドの跡、井戸が見える。参加者一堂に集まると、ガイドの指示で懐中電灯を消し、体験者のテープを真っ暗闇の中で聴く。その体験者は、自分の身体にウジ虫が這いずるのを感じ、近くの負傷者の身体からウジ虫が湧いていることを証言する。爆風でふっとばされたが運良く、倒れたところに水があり、生き残ったという。まさに地獄図だ。
次は、平和祈念公園に行き、平和資料館、平和の礎(いしじ)を見学する。
この平和の礎は、沖縄戦終結50周年祈念として戦没者の氏名を刻印し、慰霊するとともに恒久平和の願い戦争の悲惨さを後世に伝える目的で故太田元知事の発案で建設されたもの。
今年も平和の礎に新た54人の戦没者の名前が刻銘され、全刻銘者は24万1468人になった。
この平和の礎は、糸満市摩文仁の丘にあり、そこには青々した美しい沖縄の海が一望できる。沖縄戦では、米軍の艦艇で埋め尽くされたことを写真で見たことがあるが、これから攻めてくる恐怖心に身が震える思いを忘れることはできなかった。
昼食後、バスは、辺野古漁港に向かった。
辺野古は、景観も素晴らしく、珊瑚礁のエメラルドグリーンが広がる。参加者は、その河口でテントを設置し、身を挺して反対運動を続けているリーダーから約20分の話しを聴いた。
それによれば、反対運動は、2004年4月19日以降、6月25日までに4816日、2016年3月に工事中止に追い込んだ。リーダーは、「辺野古は、普天間基地の代替ではなく、飛行場のみならず、強襲揚陸艦が接岸できる岸壁、ヘリパット、弾薬装弾場を予定しており、新基地建設だ。本土は、沖縄の問題ではなく、日本全体の問題としてとらえて欲しい」と強調しました。
その後、瀬嵩浜から、辺野古新基地建設に予定し、埋め立て準備をしている海を見たが、2キロメートルに及ぶ海上フェンスがあった。日曜日のためか作業は行っていなかった。
最後の戦跡は、嘉数高台公園だ。
高台を上がっていくと展望台がある。
ここは、普天間基地が一望できる。基地の周辺は、住宅や公共施設などが密集し、世界一危険な基地が実感できる。
ここはそればかりではなく、沖縄の激戦地の一つで、待ち構えていた日本軍と最初の大規模な戦闘が行われた。足下には住民が避難した洞窟、戦闘に使用したトーチカ、弾痕の跡、沖縄戦で亡くなった住民の「嘉数の塔」、戦死した京都出身の「京都の塔」「韓民族の慰霊塔」がある。哀悼の意を称しつつ、後にした。
バスでホテルに戻ると、平和学習会が開かれた。
講師は、フリーライター屋良朝博氏でテーマは「安全保障と基地のあるしくみ」を聴いた。
屋良氏は「米軍が沖縄に集中していることに政府は、地理的優位性とか抑止力と言うが、安全保障は定義できない。防衛大学安全保障研究編『安全保障学入門』では、安全保障を定義しようとする者の持つ価値的立場や世界観が不可避的に反映する。時代や状況によって異なる。としており、普遍的定義が欠如している。外国軍が駐留するのは容易ではないが政治的圧力が低いほど駐留は安定する。1944年民事ハンドブックは、沖縄の占領のため作成されたものであるが、日本人は琉球を人種的に同等と見なしていないと分析している。安全保障には、ハードパワーとソフトパワーがあるが、アメリカは、コスト面もあり両面を取り入れたスマートパワーをとっている。アメリカは、人道支援や災害支援、海賊対策、感染症などにも任務に取り入れているが、日本の安倍首相は、ハードパワーだけを求めている。在沖米軍基地の75%は海兵隊であるが、米国本土やハワイ・グアムに移転するという米軍再編が行われ、最小遠征部隊へと変化してきている。辺野古新基地には反対だ」と述べた。
そのあと報告集会・解団式が行われた。
連帯挨拶した大城連合沖縄会長は、「安倍首相の発言は。基地の負担軽減・縮小などすべてやれることはやると言っているが、民意を全て踏みつぶしでしか聞こえない。米国ナショナルセンター(AFL-CIO)とも連携し、辺野古新基地反対を訴えていく」と述べた。
続いて、3名の参加者代表者から行動参加報告が行われた。共通しているのは、「今回の行動で、勉強になった。沖縄の実相を伝え、平和の取り組みを拡げて行きたい。」ということだった。
行動のまとめでは、梅田中央本部活動推進局長はスタッフにお礼を申し上げたあと「今回の行動で沖縄を五感で感じてもらえたと思う。今後、広島、長崎、北海道につなげていきたい。そして労組がある限り平和行動を続けていく。」と強調した。
続いてピースフラッグリレーが行われ、砂川情報労連沖縄県協議会議長は「トップとしての役割を果たせた。皆で平和を語ることできない世の中にしてはいけない」と訴えた。フラッグを受けた白井情報労連広島県協議会議長は「熱い思いを受けた。広島ピースフォーラムを成功させ、長崎につなげていきたい」と決意を明らかにした。
最後に、梅田局長の音頭で「団結がんばろう」を力強く唱和し、3日間の行動を閉幕した。