今年で27回目を数える長崎平和フォーラムは、毎年8月7日~9日かけて開催された。
退職者の会中央協議会として、秋田支部協・安部 正義さん、福島支部協・廣田 幸夫さん、山口支部協・江本 正誼さん、佐賀支部協・野口 健二さん、中央協からは・川辺事務局長、中井監事。その他九州各地からの支部協の皆さん、山口、大阪の支部協よりオブ団。そして長崎支部協の辻会長、畑本事務局長など地元実行委員会も含め全体で24人。情報労連全体では約600名がこの長崎平和フォーラムに参加した。
第一日目は、参加者全員でフォーラム会場の県立体育館に参集。
まずはじめに、主催者を代表して、情報労連中央本部・後藤副委員長(KDDI労組委員長)は、「昨年、残念ながら安保関連法案成立。今日まで戦後71年間、憲法を守り、戦争をしない平和な国が、今後は戦争ができる国になった。私たちは、これからも戦争をしない国にするため全力を尽くさなければならない。その象徴として、長崎から平和を訴え続けなければならない。長崎を忘れてはいけない。」とあいさつ。
その後、来賓の連合長崎森会長は、「一つの産別でこのような大きなフォーラムを続けて開催していただいていることに感謝し歓迎する。また、今年で被爆者の平均年齢が81歳になる。今後とも若い世代に、この悲惨な経験を体験談として引き継がなければならないが、語り部の後継が大きな課題。」とあいさつ。
次に、被爆体験談で山川 剛さん79歳の話を聞いた。山川さんは、8歳の時被爆し、被爆時から今日にいたるまで4つ分けて話をされた。①戦時中の世の中の様子として、学校では、「贅沢は敵だ」とか軍事教練が毎日のよう実施され、人殺しを教えられた。ことなど。②8月6日、9日を知らない子供が増えてきている実態。③被爆者の願いとして…二度と被爆者を作らない。核兵器を0に。核廃絶を切望している思い④被爆者の願いは叶えられるか…核兵器0は可能か?スイス、スウェーデンは、200年間戦争をしていない。コスタリカに軍隊はない。160年間戦争をしていない国は、世界に20カ国もある。こと等、被爆者の切実な思いが伝わってきてとても興味深く感銘を受けた。
2日目の午前中は、遺構巡り。最初に訪れたところは海魂の碑。我々の先輩が乗船していた日本初の海底ケーブル敷設船小笠原丸は、長崎で建造され、長崎~上海間の海底ケーブル敷設などを経て、最後はサハリンから1400人の引揚者を乗せ、稚内港を経由し小樽へ向かう途中、増毛沖で魚雷攻撃を受け引揚者、乗組員557人が犠牲となった。また、この小笠原丸を含め3隻の海底ケーブル敷設船の犠牲者を追悼する目的で海魂の碑がNTT-WEマリン長崎事務所内に建立され、我々の先輩たちを慰霊するため献花を行った。次に向かったのが城山国民小学校。ここは爆心地から西に480メートルのところにあり、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造り。その鉄筋コンクリート造りの校舎も一部を残して爆風で破壊された。今は、被爆校舎祈念館として保存されている。そのころ、校舎の一部は兵器工場として使用され、当日、動員学徒、学校職員、三菱職員131名が犠牲となったとのこと。やりきれない気持ちになった。その後、平和祈念像、如己堂、浦上天主堂をめぐりフォーラム会場の県立体育館に戻った。午後からは、フォーザピースオブワールド等の歌唱指導、上田地元実行委員長あいさつ。構成詩「風化に抗して」と続いた。特に、構成詩「風化に抗して」では、情報労連支援スタッフ、地元実行員会の皆さんの熱演に心をうたれた。続いて会場を移しての「連合2016平和ナガサキ集会」(3400人規模)に参加した。特に、若者からのメッセージとして、「高校生平和大使」が国連等の国際社会の場に派遣され、「核兵器廃絶と世界の平和を願う被爆地長崎の願い」を伝え世界の共感を呼び大きな成果を上げていることが紹介され、若い世代が被爆者の体験を継承する活動に少し安心感を覚えた。
終日の3日目は、午前9時より原爆資料館見学。この日は投下された日、無料開放ということもあり、大勢の人で混みあっていた。この資料館には、被爆者の遺品、被爆の惨状を示す写真、広島と比較し被害が拡散しなかった長崎の地形などが展示されていた。
その後、10時40分からの被爆後71年電通労働者原爆被爆死没者慰霊式に参列した。
最初に、主催者代表あいさつ、遺族代表あいさつと続き、11時02分の原爆投下時間に合わせ全員で黙祷。次に献花を全員で行い3日間にわたる長崎平和フォーラムを終了した。
この間にわたる、辻長崎支部協会長、畑本事務局長、中村幹事をはじめとする長崎支部協の皆さんには、バス、ホテル、懇親会場の手配、そして当日の被爆後71年電通労働者原爆被爆死没者慰霊式では、日陰の場所に小さな折りたたみ椅子の用意など、きめ細やかな配慮に紙面を借りてあらためて感謝申し上げます。有難うございました。